詩の表現は書き手の数だけある
皆さんこんばんは!
詩って、実に三人三様・切り口も
個性も好みも十人十色ですよね。
難しい言葉をありったけ並べた様な
頭が良く無いと理解が出来ない詩もあれば
まるでストレートな豪速球の様な
簡単に読めるが奥深い詩もあり
書き方の癖も
実に様々であり、
書き手が
『人に伝えたい』と思うか思わないか
『自己満足で完結』しても良いと思うか
思わないか
『自分が書きたいと思っているだけ』であり
周りの評価を気にするかしないか
それすらも、人それぞれ
全く違う価値観を持っています。
そして、読み手は無限大の自由です。
どう読み取っても、どう感じても
自由です。
意味なんて有る様で無いもの
例えば、
『あいうえお
あいうえお
あいうえお
あ・・・・いうえお。』
これを、”私は詩を書きました!”
といえばもうそれは『詩』であり
誰も否定する事は出来ません。
書いたことに意味・理由づけが
全くなかったとしても
それすらも関係の無いもの。
意味なんて、探しても仕方の無いものです。
それだけ、幅広く、奥深く
可能性が無限だと言う事です。
何かに囚われ過ぎている時には
きっと良いものが書けないでしょう。
自分の可能性を解放した時に
個性が光り出し、世界観も広がりを見せるでしょう。